【酒蔵ものがたり】第2回 御湖鶴 ―どん底の蔵から生まれた新星

この記事について
この記事は、いいだFMの番組「日本酒に賭けた男たちの感動とドラマ」で平成24年11月に放送された内容を、文字にして復刻したものです。お話ししているのは、酒のしお澤 三代目 塩澤 賢治です。蔵や銘柄の話、受賞歴、値段などは放送当時のもので、今とは違う場合があります。あいさつや語り口も、ラジオでお話ししたときのままにしています。

創業100周年を迎えた下諏訪の酒蔵

皆さんこんばんは。この日本酒のプロジェクトX、「感動を生んだ酒」シリーズ。今回は、下諏訪町の菱友醸造が醸す「御湖鶴」をご紹介させていただきましょう。

菱友醸造は先月、10月15日の月曜日に、創業100周年の記念式典を開かれました。なぜ10月15日の月曜日にこだわったのかとお聞きしましたら、実は10年前のこの日が、法務局に登記をした日だから、とのこと。御湖鶴の再起にかける心意気を見た気がしました。

スノーボーダーの夢を断たれて

その菱友醸造ですが、「御湖鶴」の歴史は浅くありません。大正7年、4人の男たちが出資して誕生したところから、菱友醸造を名乗ります。

下諏訪町の隣町、諏訪に「横笛」という酒蔵があります。御湖鶴の現社長兼杜氏、近藤昭等(あきら)さんのお父さんが、雇われ社長兼杜氏をしていた蔵です。昭等さんはお父さんのもとで蔵人として働いていました。プロのスノーボーダーになる夢を持って。

ところが、夢を諦めなければならないほどの大怪我をしてしまいます。同じ頃、東京のオーナーの息子さんが酒造りに口を挟むようになり、お父さんは「やってらんねー」と蔵を去ります。後に残された昭等さんは、スノーボードを失った今、酒造りの夢まで失いたくはありませんでした。

「蔵を俺にやらせてくれ」

その頃、御湖鶴が廃業届を出すという話を聞きます。彼は御湖鶴のもとへ走りました。「蔵を俺にやらせてくれ」。すると、蔵は株式会社だから株を買い取ってくれ、と言われます。まだ若い彼にお金はなく、銀行に話しても、斜陽の業界には冷ややかでした。

彼は下諏訪の町で募金集めに動きます。町の人々も、下諏訪に唯一の酒蔵を残そうと動きました。その活動が、銀行を動かします。

そういえば先日の100周年記念式典で、当時菱友醸造を担当され、現在は八十二銀行の取締役をなさっている方が、当時を感慨深げに振り返るご挨拶をされていました。

漫画よりも奇なる酒造り

銀行の融資を受けて、いざ酒造りを始めてみるのですが、お父さんのもとで働いたのはせいぜい3、4年。見よう見まねの酒造りです。食の月刊誌「ダンチュウ」2007年4月号の言葉を借りれば、「更にあろうことか、蔵人は彼のスノボー仲間。漫画の、いや、漫画でさえ考えられない世界であった。事実は漫画より奇なり」と紹介されています。

使う仕込み水は、世界一の超軟水「黒耀水」。杜氏歴50年のプロでも失敗する水です。ですが、一度湧けば、米や酵母の味が鏡のように映る水。ですから、まずい仕込みをすれば、そのまずさがそのまま浮き彫りになる、怖い水でもあります。

案の定、1年目は失敗します。「売る酒はなかった」とも言っていました。彼は酒を持っていろいろな蔵を訪ね歩き、教えを乞います。とにかく、美味い酒を造りたかったのです。

新星・御湖鶴の誕生

静岡の「磯自慢」を訪ねたとき、彼に衝撃が走ります。彼の酒造りに転機が訪れたのです。

翌年、再び挑戦。もう失敗は許されませんでした。湧き上がった酒を持って、明鏡止水で有名な大澤酒造の口利きで、東京の有名地酒専門店を再び訪ねます。そこで酒質の甘さを指摘されますが、彼にはその時すでに、方向を修正する力が培われていました。もう一度利き酒を頼むと、東京の地酒専門店からOKが出ました。新星・御湖鶴の誕生の瞬間です。

御湖鶴は、目指す酒のライバルは日本酒にはいない、とも言います。なぜなら、御湖鶴の特徴はあの綺麗な酸にあるからです。日本酒と焼酎のいちばんの違いは「酸」です。御湖鶴のお酒を味わってみると、「ライバルはドイツワインだ!」と彼が言うのが分かるくらい、御湖鶴は綺麗な酸を生みます。

近藤昭等さんが御湖鶴を継いでから、ちょうど10年。長野県一のどん底にあった酒蔵のお酒が、今では入手困難になるほどの名酒に育っていました。

(放送:平成24年11月 いいだFM)

第2回 御湖鶴 ―どん底の蔵から生まれた新星
※イメージ(AIで作成)

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シリーズの続き

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